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沿革・概要 |
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本学会の前身「口腔顎顔面外傷研究会」が発足し、今年で16年になります。研究会は、その後学会になり、事務局も理事長交代に伴って移転し、事務局の担当者も代わりました。HPに学会の沿革をということで、今までのプログラム・抄録集と、学会雑誌「口腔顎顔面外傷」の理事会・評議員会の議事録を元に、できるだけ記憶をたどってみました。
平成8年頃だったでしょう。当時はバブルがはじけて、世の中が少し落ち着きを取り戻してきた頃だったと思います。学会・研究会が多すぎて、まともに演題を出して参加していたら、1年中学会参加ばかりで、研究も臨床も時間が無いと言うくらい、多くの学会や研究会ができていました。口腔外科のメイン学会は、春に開催の日本口腔科学会と秋に開催の日本口腔外科学会でしたが、年に2回総会に出た有志の中で、学会・研究会の統廃合を考えようという動きがありました。一方では、学会の会員増や会員数の維持には、認定医・専門医制度の導入が手っ取り早く、更新単位で縛るのが確実だと言われ出した頃でした。ある日、徳島大学の長山 勝教授に、「口腔領域の外傷の専門学会が無いが、必要ではないか?」と声をかけられました。先に述べたように、学会・研究会を減らそうと考えていた頃で、新しく作るなんて滅相もないと思いましたが、本当に必要かどうか検討しようということになり、長山先生を中心に、過去10年間の日本口腔科学会、日本口腔外科学会等の演題で外傷関係のものを分析し、外傷症例の多い施設をリストアップし、それらの施設の中から、外傷に興味をお持ちの方を選び出しました。全国規模の口腔科学会総会と口腔外科学会総会の日程に合わせて、数回皆様にお集まりいただき検討しました。当時集まったのは、北 進一(旭川医大)、山本美朗(明海大)、丹澤秀樹(千葉大)、橋本賢二(浜医大),亀山洋一郎(愛院大・病理)、田川俊郎(三重大)、白数力也(大歯大)、松村智弘(岡山大)、長山 勝(徳島大)、大石正道(九大院)、伊東隆利(熊本・伊東歯科)、野井倉武憲(鹿大・歯放)などでした(敬称略、北からお名前記載、専門科目なしは口腔外科です)。
平成11年の口腔科学会総会第1日目終了後、学会場近くの居酒屋に集まり、話し合っていましたが、誰の発言かわかりませんが、「いつまで検討しても仕方がない、具体的に研究会を始めよう」ということになりました。私は長山先生の後輩で、事務的なことを頼まれて、発起人候補者リスト作成や、口腔顎顔面外傷研究会設立趣意書、同会則案などを作っていたことから、何となく事務局みたいな役目を任せられており、さらに、先代の茂木克俊教授時代から浜松は外傷が多かったこと、地理的に浜松は日本の中心に近いことなど、訳のわからない理由で、第1回研究会を浜松でお引き受けすることになりました。準備していた発起人候補者名簿、設立趣意書.会則案等を暫定的に決め、その年度内に浜松で、第1回口腔顎顔面外傷研究会を開く事だけが決まりました。
第1回口腔顎顔面外傷研究会のプログラム・抄録集の挨拶によれば、『一時多かった交通外傷も、シートベルトやフルフェースヘルメットの着用により、減少したようにも思いますが、自転車乗車や歩行者の交通事故や転倒、スポーツ、殴打などによる外傷は増加傾向にあるようですし、入局した頃一般的であった顎間固定による骨折の治療は、プレートによる固定が普通になり、プレートの素材もステンレスからチタンさらに吸収性の物に変わってきています。高齢化社会を迎え、高齢者、有病者の外傷も増加し、糖尿病や骨粗鬆症など健康者の治療とは違って一工夫も、二工夫もしないとうまく治らない症例も経験します。また、従来X線に頼っていた診断もCTや3D-CTが一般的になってきましたので、病態の分類なども見直しが必要かも知れません。そこで、口腔顎顔面の外傷を専門に扱う研究会を作り、勉強しようということになりました。口腔外科が中心になりますが、口腔顎顔面の外傷を扱う分野の方に広く声をかけ、学際的な研究会にしようと、歯科放射線、歯科麻酔、矯正歯科、口腔病理など幅広く声をおかけしましたところ多数の方のご賛同を得、平成11(1999)年9月4日発起人会、設立総会、第1回口腔顎顔面外傷研究会を開く運びになりました。将来的には、この分野に関する形成外科、脳神経外科、耳鼻咽喉科、救命救急部(センター)などの参加も求めていこうということで、第1回研究会には「特別講演;頭蓋顎顔面の外傷」を近畿大学形成外科の上石 弘教授にお願いしました』とあります。
さらに、『「第1回目は発会式と特別講演だけ」という意見もありましたが、「少しでも良いから一般口演も入れよう」と言うことになり、時間の都合もあり、10演題2時間の予定で、発起人依頼者にアンケート調査しましたところ、20題以上の発表希望があり、アンケートで「未定」の返事を頂いたところには、ご遠慮いただく事にした』とあり、第1回目の研究会から、本研究会の発足を待つ人が多かったと思われます。第1回口腔顎顔面外傷研究会は急に決まりましたので夏期休暇中に開くことにし、1999年9月4日(日)JR浜松駅前アクトシティ・コングレスセンターで開催しました。プログラムを見ると、11:30─12:00 口腔顎顔面外傷研究会設立総会、13:00─14:00 特別講演、14:00─16:51 一般講演 18題、17:10─ 会員懇親会、となっています。その後第2回研究会は2000年7月大阪歯科大白数力也教授を会長に一般演題34題,第3回研究会は2001年6月明海大学山本美朗教授を会長に開催され、パネルデスカッションと一般演題40題で行われています。
当時は大学病院で救急を扱うところが少なく、外傷は大学病院より救命救急を扱う病院の方が新鮮外傷を多く扱うのですが、病院口腔外科は定員が有って人的余裕もなく、なかなか研究会にも出席できないほど忙しいところが多く、また研究会では学会出張費用が出ないなどの不満もあり、理事会で検討したところ時期尚早と言う意見もありましたが、会員が学会に参加できるような環境を作るのも、今後の会の発展のためには必要であるということで、第4回から研究会の名称を「日本口腔顎顔面外傷学会」と変更し、それに伴い本学会誌「口腔顎顔面外傷」を年2回発行することなどが決定され、会則も変更し、投稿規定なども作りました。その後学会発表も学会誌の投稿も順調に推移しています。
第8回鹿児島の総会で理事長を田川俊郎先生に交代し、第10回総会で学会ロゴマーク(会誌裏表紙)が決定、第14回新潟市の総会で、田川先生から3代目理事長に鎌田伸之先生(広大・口外)が交代し、今後の活躍が大いに期待されましたが急逝(2013年4月11日享年56歳)され、第15回熊本市の総会で、4代目理事長に又賀 泉先生が就任され、現在に至って居ます。 |
2014年2月吉日 初代理事長 橋本賢二記
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